一般的に米菓と呼ばれるお菓子は、お米が原料とされており、その製造工程の違いから「あられ」や「おせんべい」と食感の違うお菓子が作られております。

中でも「あられ」はおもちを作るもち米が原料とされており、小型のサイズを「あられ」と呼び、大型サイズのものを「おかき」と呼ばれております。

そして「おせんべい」は、普段私たちがご飯として食べられているうるち米が原料となっており、軽くて柔らかい食感のものから、噛み応えがある硬めのものと様々な食感があります。

では、普段からお茶のお供として相性抜群のおせんべいやあられですが、その歴史や名前の由来はもちろん、人気ランキングが上位にくるおせんべいの種類の名前や、由来についてもお話していきたいと思います。

あられの歴史や名前の由来とは!?

由来 あられ 名前

あられの歴史は、縄文・弥生時代まで遡ります。

今より1700年から2300年ほど前には穀物の生産が増え、焼き米から干し飯を始め、だんごやもちなどが作られていました。

これが和菓子の起源とされております。

奈良の時代には、宮中の大膳として「主菓餅」と呼ばれる職種があり、古来よりの風習で「賀儀」と呼ばれる祝いの儀式の席で、神様にもちを供えた後に、土皿でこの供えたもちを割って食べたことが、「あられ」の始まりとされております。

そして江戸時代には、商品として米菓が販売されるようになり、元禄では本格的に米菓作りの道具が揃えられていきます。

文化文政時代には今も親しまれている「草加せんべい」が生まれました。

明治・大正時代から昭和の初期には、米菓の需要が一気に増大し、戦前には米菓業者が一気に増加をしていきました。

ですが、太平洋戦争により米が手に入りづらくなり、米菓業者は廃業していきました。

そんな中でも、どうにかして材料の米の確保を続けながらいた業者のおかげで、今もなお受け継がれているのです。

次に「あられ」の名前の由来ですが、その由来をたどると奈良時代の文献に「あられ」と記されているものがあります。

これによると、干したもちを煎ったものと記載されており、煎ってる最中に音をたてながら跳ねている様子が「霰」に似ており、その様子から「あられ」と名付けられたと言われております。

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せんべいの歴史や名前の由来とは!?

かなり昔から食べられていたとされる「おせんべい」ですが、「おせんべい」の種類によっては歴史も少し違ってはいます。

ですが、一般的なお菓子として大変親しまれている「おせんべい」はいったいいつから、そしてどのように生まれてきたのか気になりますよね。

「おせんべい」の原型となったのが、実は始まりは中国からと言われております。

小麦粉を練り上げた、今で言う海老せんべいや八戸せんべいが次第にお米に変わり、そこから今の「おせんべい」につながったとされております。

では、いったいいつお米のおせんべいが生まれたかというと、紀元前202年から後8年の時代からにはすでに存在していたと言われております。

中でも、中国の宮廷では、おめでたい祝の食膳には加えられており、なかでも1月7日や3月3日には必ずあったとされています。

その後の飛鳥時代には、中国から日本に「おせんべい」が伝わったとされていますが、当時は水で小麦を練ったものだったので、今でいうお米を使用した「おせんべい」とは程遠いものだったとされています。

今のお米を焼いた「おせんべい」は、江戸へ向かう途中のお団子屋さんで、当時はお米を日持ちさせる術がなかったため、余ったお団子をぺったんこにして焼いてだしたところ、大変美味しく評判が良かったため、街道の名物になったと語り継がれております。

そしてこのお団子屋さんで売っていた娘さんの名前が「おせんさん」ということから、「おせんべい」と名付けられたと言われております。

ですが、この他にもう一つ名前の由来があり、戦国時代の千利休の弟子である幸兵衛さんと呼ばれる方が、名前を付けたと言われております。

それは、幸兵衛さんが小麦とお砂糖でできたお菓子の名前を、師匠である千利休の「千」と自分の「幸兵衛」をあわせて「千幸兵衛」、つまり「せんべい」としたというものです。

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色々なおせんべいの種類の由来を解説!

由来 あられ 種類

「おせんべい」と一言いっても、主原料の違いからその種類が分かれ、見た目はもちろん食感も異なっております。

なかでも全国的な一流ブランドでもある代表的な「サラダせんべい」から「オランダせんべい」、「歌舞伎揚げせんべい」そして、「品川巻き」、「九助」といった当たり前に呼ばれている「おせんべい」の名前の由来についてお話していきたいと思います。

「サラダせんべい」の味や由来とは何!?

お菓子コーナーでよく見る「サラダせんべい」ですが、いったいどういったところが「サラダなの?」と疑問に思った方もいるのではないでしょうか。

食べて見たことがある方ならわかるかと思いますが、実際食べてみても野菜のサラダの味はしませんよね。

ではなぜ「サラダ」という名前かというと、サラダはサラダでも「サラダ油」のことと言われております。

1960年代の頃、「サラダ油」が高価にも関わらず、このサラダ油をからめ塩をまぶしたせんべいは、当時しょうゆ味が主流だったおせんべいに比べ、斬新でなおかつ高級感がある「おせんべい」として人気があり、それ以降米菓では定番の味として変わらず人気がある「おせんべい」となっております。

「オランダせんべい」の名前の由来とは何!?

根室を代表するお菓子といえば「オランダせんべい」ですよね。

ですが、なぜ北海道で「オランダ」という名前が付くかというと、それは江戸時代にまで遡ります。

当時は長崎の平戸市にオランダ商館が置かれており、そこで「オランダせんべい」や「オランダ焼き」というお菓子が販売されておりました。

このルーツから日本海を北上し、富山、函館、そして根室と伝わっていったとされております。

最盛期には根室以外でももちろんたくさんの製造元がありましたが、今となっては根室の「端谷菓子店」のみとなっております。

「歌舞伎揚げのせんべい」の名前の由来とは何!?

歌舞伎と言えば、日本を代表する伝統的な古典演劇ですよね。

「おせんべい」も古き時代より受け継がれてきた食べ物で、この両者とも伝統ある文化なので、これからも伝えていこうという理由から「歌舞伎揚げせんべい」と呼ばれるようになりました。

そしてこの「歌舞伎揚げせんべい」の包装袋には、定式膜の模様を入れ、さらに「おせんべい」の一枚一枚にも家紋のデザインが刻印されていることにより「歌舞伎揚」と言われております。

せんべいの品川巻きの由来とは!?

いつまでも変わらない味として親しまれている「品川巻き」ですが、その由来は江戸前浅草海苔の生産地であることから由来していると言われております。

品川当たりの海苔ということで地名から名づけられておりますが、日本伝統的なお菓子の一つである「品川巻き」という名前で販売されております。

ですが、登録商標ではないため、多くの事業者がこの名前を使用してもおり、また商品も細いものから太めのもの、そして形も四角といったものも今では出回っております。

割れたり欠けたせんべいを「久助」という由来とは?

割れたり、欠けたおせんべいを「久助」と呼ばれていますが、そう呼ばれるようになったのはいくつかの説があると言われております。

まず一つ目は、江戸時代の良質の葛である「久助葛」から来ていると言われ、当時和菓子職人の間で略して「久助」と呼ばれるようになったという説です。

もう一つは完璧なものを10と例えると、割れたり欠けた分が9となることから、「久助」となったという説です。

最後は奉公に行く際の手土産として、おせんべいを持っていく人に「久助」という名が多かったためと言われております。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「あられ」や「おせんべい」には深い歴史があって、今の時代の「あられ」や「おせんべい」がありますが、それぞれの由来を見てみると時代とともに言葉の使われ方が変わっていっているように感じるのではないでしょうか。

普段当たり前に使っている言葉でも歴史を辿り、その紐の謎を解いてみるのも面白いかもしれません。

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