ブラジルと言えばカーニバルやサッカーが有名です。
他にも様々なスポーツのシーンでブラジル人選手が活躍しているので、国旗を見る機会もたくさんあります。
陽気なブラジル人のイメージからなかなか想像はできませんが、この国の国旗にはとても繊細で深い意味が込められていました。
今回はブラジルの国名の由来や国旗の由来について説明しますので、ぜひお読みください。
目次
ブラジルのカラフルな国旗の意味や由来とは?
ブラジルの国旗は緑色のベースに、黄色のひし形と青い縁が組み合わされています。
1889年11月15日にブラジルは帝政が倒されて共和制が成立し、国旗も新しくする案が浮上しました。
その時にアメリカの国旗をモデルにした新しい国旗が発案されて採用されたが、あまりにもアメリカの星条旗に似すぎていたため、僅か4日で取り下げられました。
そして帝政時代の国旗を元に再び新しい案が考えられて、1889年11月19日に改めて国旗として制定されました。
この日はブラジルの「国旗の日」と定められています。
国旗のベースとなっている緑色は「林業と農業」、黄色は「鉱業」を意味していて、これはブラジルが資源に恵まれていることを表現しています。
真ん中の青い丸の絵の意味とは?
国旗の黄色いひし形は地下に埋まっているゴールドを表し、その中の青い丸は1889年11月15日20時30分のリオデジャネイロの夜空を描いています。
この日時はブラジルが無血革命で共和制になった、とても重要な時刻です。
この夜空には星が27個描かれていてこれは26の州と1つの連邦直轄区を示し、そしておおいぬ座やさそり座などの正座をあしらっています。
この星座は、共和制になったこの時刻にリオデジャネイロの夜空にありました。
青い丸の中の言葉の意味とは?
国旗の円の真ん中には白い帯で太陽が通る黄道が描かれ、そこに緑色の文字で「ORDEM E PROGRESSO」と書いてあります。
これはポルトガル語で「秩序と進歩」というフランスの哲学者オーギュスト・コントの言葉で、「進歩は秩序の青果であり、秩序は進歩の結果である」という説から来ています。
ブラジルの国名の由来とは!?
ブラジルの名称は日本語で「ブラジル連邦共和国」、通称が「ブラジル」です。
ポルトガル語では「República Federativa do Brasil(ヘプブリカ・フェデラチヴァ・ドゥ・ブラズィウ)」と表記され、英語表記では「Federative Republic of Brazil」となります。
最初の住民は紀元前8000年にアジアから海を越えてやってきた狩人でした。
そして1500年にポルトガル人によってブラジルが発見されると、それ以降ブラジルはポルトガルの植民地になります。
ブラジルが発見された当初はアメリカ大陸の一部だとわからず、そこは島だと思われていました。
そして発見者がポルトガル人だったため、国の名前を信仰しているキリスト教の特色がある「ヴェラ・クルス島」と名付けました。
これは「真の十字架」という意味です。
その後「サンタ・クルス(聖十字架)の地」に改名されましたが、先にそこで暮らしていた住民たちからキリスト教色が強すぎる名前に対して反発が起こります。
ポルトガル人がこの土地でヨーロッパで染料として使っていた「ブラジルスオウ」の木を発見しました。
これは燃えるように赤い事をポルトガルで意味します。
この木を「ブラジル」と呼ぶようになりポルトガルへの輸出も盛んになったため、16世紀に「ブラジル」という国名に変わりました。
漢字で表記すると「伯」の意味とは!?
ブラジルを漢字で表記すると「伯」になります。
これは日本の幕末時代に鎖国政策を止めて諸外国と交易を始めた時に、徳川幕府が外国名を漢字で表したことが由来します。
幕府が考えたブラジルの漢字表記は、「伯刺西爾」でした。
当時は今ほど立派な辞書などがないので、清朝時代から使われている「英華字典」を参考にしてこの文字を採用したそうです。
中国語でブラジルを「巴西(バーシー)」と表記し、首都ブラジリアは「巴西利亜」です。
この当時参考にできる中国語などの辞書を使って考えた当て字なので読みにくいかもしれませんが、当時の精一杯の当て字でこれを「ブラジル」と読みます。
そしてその最初の文字で漢字表記するため、ブラジルを「伯」と書きます。
ブラジルの有名なリオのカーニバルの由来とは!?
ブラジルには世界的な「リオのカーニバル」と呼ばれる謝肉祭があります。
元々はエントルードと呼ばれるポルトガルのお祭り騒ぎで、ポルトガル人によってブラジルに持ち込まれてから奴隷たちを中心に普及しました。
奴隷たちは顔に色を塗って、水風船やイモの粉を互いに投げ合って盛り上がります。
しかし19世紀に入ると、リオデジャネイロでは人にものを投げつける行為が危険なためエントルードが禁止されました。
その一方でエントルードに参加していなかった奴隷の主人や貴族たちがカーニバル向けのダンスを考案し、音楽に合わせて踊るカーニバルが普及しました。
そうなると楽しみを奪われた奴隷たちはつまらなくなり、団結して踊りながら道を練り歩きます。
こうしてサンバはアフリカ系奴隷たちがブラジルの楽器に合わせて歌い踊って誕生しカーニバルも発展していきました。
リオのカーニバルが商業的にも重要なイベントになったのは1960年代からで、1984年にカーニバルのパレード専用の広場も建設されました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
いつも陽気に明るく歌い踊っているブラジル人たちですが、これほど社会的に活躍できるようになるまでには多くの苦労がありました。
先住民と後から入って来たポルトガル人との信仰や価値観の違いにより大きくぶつかりあいますが、無血革命で共和制を成立させたことは歴史的にとても大きな意味があったと思います。
そして国旗はカラーでブラジルの恵まれた資源を表し、夜空や星で共和制を勝ち取った時のことを表現しています。
そして真ん中に書かれた言葉によって、ブラジルの国がしっかり前を見据えて進歩してきたことが伺えます。
このように国の歴史や国旗の由来をしると、その国に対する理解が深まります。
これを機に他の国の歴史や国旗にも目を向けて行きたいと思います。