カラオケは日本において巨大な娯楽産業であり、老若男女が年齢を問わず一人でも大勢でも楽しめるので、様々なシーンでその人の状況に合った遊び方ができます。
好きな歌をマイクを持って熱唱することでストレス発散になったり、一人で歌の練習をしたり、みんなで一緒にライブ気分で盛り上がったりと、気分や目的に合わせて楽しめるのが魅力ですよね。
ところでこのカラオケっていつからあるのでしょうか?
なぜカラオケとよばれるのでしょうか?
ここでは、日本の文化ともいえるカラオケの発祥や歴史を中心にご紹介します。
目次
カラオケの語源とは!?
もともと『カラオケ』という言葉は、昔は存在しませんでした。
これは実は放送業界で使われていた用語のひとつで、歌が入っていない伴奏だけの『空演奏』から派生した『空オーケストラが』語源となっているといわれます。
ラジオ番組などでゲストに歌手の方を招いた場合、歌うときに生演奏をしようとすると、楽器の持ち運びも大変で費用もかかりますよね。
そこで、楽曲の伴奏のみを記録媒体に記録しておいて、それを再生して使うという方法がとられました。
この生伴奏なしの状態を『空オーケストラ』と呼び、それが『カラオケ』に短縮されたのだということです。
録音技術の発達により再生する演奏の質も上がり、番組制作が効率よく低コストで行うことができるという利点があったのですね。
日本のカラオケの歴史は?いつ誕生したの?
日本において現在のカラオケ誕生の原点といわれているのは、1960年代に登場した『ジュークボックス』です。
当時は業務用として店舗に設置され、機器に内蔵されているレコードなどを聴くためにお客がお金を入れるという、いわば自動販売機のようなシステムでした。
1970年代にはホテルやレストランなどにも設置されるようになったり、歌の入っていない伴奏のみのテープを再生するようになり、ここがカラオケの歴史の始まりといわれます。
こうして庶民の娯楽としてのスタートを切ったカラオケですが、1970年代後半にはすでに家庭用のカラオケも登場、スナックやホテルなどにも広く普及し、様々な場所で楽しむことができるようになってきました。
さらに1980年代には『ビデオカラオケ』が登場、モニターに映される字幕を見ながら歌うことができるようになり、『カラオケボックス』のような個室で歌える店舗も生まれます。
その頃のカラオケ機器の進化はめざましく、リモコンやワイヤレスマイク機能、通信カラオケ、採点機能、ハモリ機能やプリントシール作成など、各メーカーがこぞって様々な機能を開発し、エンターティメント性が高まってきました。
その後2000年代に入ってからはカラオケボックスの数は減少し、代わってチェーン店を中心に多くの個室を持つ大型店舗が増えていくのです。
現在では、スマホアプリと連動したサービスなど、時代とともに進化を遂げてきたことがよくわかりますね。
誕生後わずか40年足らずで今や6千億円を超える巨大産業に発展したカラオケ業界の今後の展開が楽しみです。
カラオケの発祥はどこ!?
一般社団法人『全国カラオケ事業者協会』の記録によると、1970年代初めにそれまでは音楽を再生する機能だけであったジュークボックスにマイク端子が付いたそうです。
これに合わせて、聴く事が目的であった音楽テープを、素人が歌いやすくアレンジをしたものが開発され、これが初のカラオケソフトとなったといわれます。
これを神戸市内の店舗で1曲5分間100円で提供したところ大変な評判になったということで、これがカラオケ事業の始まりと位置づけているようです。
また、1985年には岡山県で初のカラオケボックスが登場します。
第1号店は、コンテナの内部を簡単に改装して機器を設置しただけのものでした。
国際規格により廃車になった列車やトラックなどの中古コンテナの再利用という形で、広い敷地にコンテナが設置されたということです。
お酒を飲まなくても昼間でも気軽に歌いに行けるということで、このカラオケボックスがきっかけで、カラオケの人気はますます過熱していったといえるでしょう。
今ではあまり見られなくなり、当時のことを知らない世代にとっては、カラオケボックスという名前自体が耳慣れないかもしれませんね。
カラオケで使われる十八番(おはこ)の意味や由来とは!?
カラオケでよく使われる言葉として、十八番(おはこ)というものがありますが、この言葉の意味や由来をご存知でしょうか?
「この曲は彼の十八番だ」といった使い方をするのですが、カラオケで使う十八番とは、『一番得意な曲』のことをさします。
なぜそのような意味になったのかについて、いくつかの由来をご紹介します。
歌舞伎用語から
日本発祥で400年もの歴史を持つ古典芸能である歌舞伎の演目に『歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)』というものがあります。
その歌舞伎の家元の中でも権威のある市川團十郎家(成田屋)の7代目(1791-1859年)が42歳のときに、代々の團十郎が得意としていた歌舞伎芝居のうちの18演目を選び『歌舞伎十八番』として発表したのが1832年、江戸時代のことでした。
歌舞伎の芸は、代々口承という形で語り継がれてきたものなのですが、7代目團十郎は、この歌舞伎十八番の台本を作ることで次の世代へ語り継ぎやすいようにしたということなのだそうです。
江戸時代には歌舞伎は庶民にとって人気の芸能で年中開催されていたため、この『十八番』という言葉は広く知られることになり、その後歌舞伎だけではなく『得意な芸』のことを表すようになったということです。
武士の武芸から
江戸時代の武士に必要といわれた武芸の種類が18種類あったことからきている説です。
もともとは、江戸時代初期に中国から伝わった武器を分類すると18種類あったことから『武芸十八般』ともいわれるそうです。
仏教の考えから
阿弥陀如来が修行をしているときに誓いを立てたものが『四十八願』で、その中の『十八願』は仏教においては最も重要な願いとされていたことからきている説です。
この中で、一般には歌舞伎の説が有力とされているそうです。
ところで、なぜ『十八番』を『おはこ』と読むのでしょうか?
この由来は『箱書き』というものからきているといわれます。
江戸時代には、高級な書画や器などを箱に入れ、その作者や鑑定者がその箱に署名や押印などをして、それが本物であることを示しました。
それはいわば保証書のようなもので、同じように市川團十郎の歌舞伎十八番の台本が箱に保管され箱書きされていたことから、十八番をおはこと結びつけるようになったといわれます。
まとめ
いかがでしたか?
今や日本人の娯楽としての認知度はかなり高いカラオケですが、わずか40年足らずで急成長したビジネスになりました。
『カラオケ』は外来語でも日本語でもなく、放送業界で使われていた派生語で、歌のついていない伴奏だけの音楽『空のオーケストラ』が語源となっています。
当初は歌手がどんな場所でも持ち歌を歌えるようにするための技術でしたが、それを一般向けに作ったのがカラオケの原点でした。
技術の進歩やブロードバンド化などによりカラオケの機器は目覚しい進化を遂げ、現在では歌うだけでなく様々な楽しみ方ができるようになっていますよね。
一人でも大勢でも楽しめるカラオケ、音楽に親しめる場としても、コミュニケーションの場としても、これからもどんどん発展していってもらいたいものです。