歌舞伎は日本独特の伝統演劇のひとつです。

女優の代わりに男性が女形を演じており、舞踊劇・音楽劇などの要素も含んでいます。

ここでは歌舞伎の由来と共に、いくつかの決まりごとを紹介します。

歌舞伎はただ観ているだけでも華やかで、十分楽しめるのですが、いくつかの約束ごとを覚えておくと、もっと奥深い意味がわかって、さらに興味が増すでしょう。

「歌舞伎」の名前の由来とは!?

由来 歌舞伎 言葉

「歌舞伎」のはじまりは、慶長年間(1596年から1615年)の頃に活躍した「出雲の阿国(いずものおくに)」という女性が始めた「かぶき踊り」です。

彼女の踊りは「かぶき者」達の斬新で派手な風俗を取り込んだことで、有名になりました。

ここでいう「かぶき者」とは慶長から寛永年間(1596年から1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で多く見かけた、派手な身なりで常識はずれの行動をとる人たちのことです。

ただ、阿国の「かぶき踊り」は「女歌舞伎」とも言われました。

女歌舞伎はただ派手で奇抜なだけでなく、エロティックな要素も多く風紀上問題が生じたため、幕府によって、女性が舞台に経つことが禁止されました。

「女歌舞伎」が禁じられると、次は若い美少年が演じる「若衆(わかしゅ)歌舞伎」が人々に娯楽を提供することになりますが、これも同じように風紀が乱れると承応元年(1652年)のころから禁止されてしまいます。

このため、歌舞伎は「風紀を乱す心配のない」成人男性がすべての役を演じる「野郎歌舞伎」となり、元禄年間(1688年から1704年)に大きく発展して、今日の歌舞伎の元になりました。

最初は女性が演じるものだったため「かぶき」には「舞い踊る芸妓」という意味で「歌舞妓」という文字が用いられていました。

野郎歌舞伎の時代になって「伎(わざ)」「伎芸(ぎげい)」の意味を込めて「伎」という文字も使われるようになったそうです。

「歌舞妓」と「歌舞伎」のふたつの「かぶき」は明治時代には「歌舞伎」に一本化されて、今日に至ります。

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歌舞伎の定式幕とは?

歌舞伎ではいろいろな幕を用います。

その中でも定式幕(じょうしきまく)は、芝居の始めと終わりに使われる「どんな演目でも使われる幕」です。

しかし江戸時代には、幕府から興行を許された3つの芝居小屋だけが、定式幕の使用を許されていました。

定式幕が下手から上手に向かって引かれると、芝居の始まりです。

ただし明治以降には西洋の舞台芸術の影響を受けて、下から上に向かって上がる緞帳(どんちょう)式の定式幕も使われるようになりました。

定式幕に使われる3つの色の意味とは? 

定式幕には、中国の陰陽五行の考えに基づいて「青」「白」「黄」「赤」「黒」の5色のうち3色を選んで用います。

もともとの5色は「五方五色」といって、5つの方角にいる神々を5つの色で示すものです。

この中から3色を選ぶということは「神様が宿る」という意味がこもっています。

ただし実際は、青は緑色、赤は柿色に置き換えて使います。

実は江戸時代に定式幕の使用を許されていた3つの芝居小屋では、幕の色の組み合わせはそれぞれ異なっていました。

その3つの劇場と、定式幕の色は、次のとおりです。

  • 「中村座」の定式幕は「黒・白・柿」(白は中村座だけ特別に許されていました。)
  • 「市村座」の定式幕は「黒・萌黄(黄色がかった緑)・柿」
  • 「森田座」の定式幕は「黒・柿・萌黄」

一方、現代の歌舞伎が上演される劇場の代表格といえば、東京の歌舞伎座と国立劇場ですが、それぞれの劇場では定式幕に異なった色を用いています。

歌舞伎座の定式幕は「黒・柿・萌黄」で森田座の方式、国立劇場は「黒・萌黄・柿」で市村座の方式を採用しています。

歌舞伎の屋号とはどんな意味!?

歌舞伎役者は、皆「屋号」を持っています。

屋号はその役者が属する家の称号のようなものです。

歌舞伎の世界では、屋号と共に先人のお家芸を継承すると、みなしています。

そのため屋号は歌舞伎役者にとって、自分の名前や名字よりも重要な意味があります。

歌舞伎の知識がある程度ある人なら、屋号だけで、その役者の芸風や役回りがわかるほどです。

舞台上の歌舞伎役者に観客が声をかける場合も、「〇〇屋!」とその人の屋号で呼びます。

決して役者の苗字や名前を呼ぶことはありません。

また親子は師弟関係にあることが通例なので、同じ屋号を名乗ることが多く、区別をするために「〇代目!」と声をかけたりします。

歌舞伎の屋号の由来は!?

江戸時代の「士農工商」の身分制度において、役者はもともと最下層の「非人」扱いされていました。

しかし元禄時代(5代将軍徳川綱吉のころ)に歌舞伎が大流行をしたおかげで、彼らは商家を営む町人としての扱いを受けるようになります。

その結果、表通りに店や住居を構えるようになった彼らには、商人としての屋号が必要になり、歌舞伎役者たちは芸名と同時に屋号を名乗るようになり、今日までそれが慣例となっているのです。

代表的な屋号としては、別格といわれる「成田屋」を筆頭に「高麗屋」「音羽屋」「中村屋」「成駒屋」などをあげることができます。

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知らずに使ってるかも?歌舞伎が由来の言葉を紹介!

普段何気なく使っている言葉に中にも、歌舞伎が由来になっているものが沢山含まれています。

ここではそのいくつかを紹介します。

歌舞伎由来の言葉は、この他にもいろいろとあります。

由来を知らずに使っているものも多いはずです。

「板につく(いたにつく)」

「板」とは舞台の床板のことです。

経験を積んだ歌舞伎役者の芸が舞台にしっくりと馴染んでいることを意味します。

一般の世界では、態度や物腰が、その人の職業や地位にふさわしいことを表しています。

「大詰め(おおづめ)」「大喜利(おおぎり)」

 江戸時代の歌舞伎は、時代物(江戸時代より昔の武家社会を描いたもの)と世話物(町人社会を描いた、江戸時代の人にとっての現代劇)の2部構成で興行していました。

そして時代物の最後の幕のことを「大詰め」と呼び、世話物の最後の幕を「大喜利(大切)」と呼びました。

現代では「大詰め」はものごとの最終段階、「大喜利」は舞台が終わった後に披露する珍芸のことを意味で使います。

「笑点」の大喜利が、例にあげられます。

「黒衣(くろご)」

「くろこ」ではなく「くろご」と発音します。

歌舞伎役者の演技のサポートを、黒い衣装を着て行う人のことです。

黒い衣装は「観客から見えないことになっている」という意味の約束ごとです。

一般の世界では、人の目に触れない地味な作業を黙々と行う人のことをいいます。

「黒幕(くろまく)」

歌舞伎では、夜の場面を表現するために用いる黒い幕のことを表します。

一般の世界では、自分は表に出ないで、他人を使って状況をコントロールする人のことをいいます。

「影の大物」というわけです。

「捨て台詞(すてぜりふ)」

台本には書かれていない言葉を役者がアドリブでいうことです。

舞台を退場する際に語られることが多かったせいか、一般の世界では、別れ際に相手に(屈辱したり脅迫したりする目的で)言い捨てる言葉のことを意味しています。

「だんまり」

真っ暗闇という設定で、舞台上を数人の役者が手探りしながら舞台上を動く様子を指します。

役者たちはひとこともしゃべらずにスローモーションのようにゆっくりと動き、お囃子(はやし)だけが流れるという演出がなされます。

一般には、だまり続けてひとこともしゃべらないことを意味しています。

「とちる」

台詞を忘れたり、演技を間違えたりすることです。

一般の世界でも、ミスをしたり失敗をしたりすることを意味します。

「ドロン」

歌舞伎の舞台では、妖怪や幽霊が消えるとき、「ドロンドロン」と太鼓が鳴ります。

登場するときは「ヒュードロドロ」などと効果音を鳴らします。

現実の世界では、悪事を起こした犯人が「ドロン」してしまいます。

「なあなあ」

舞台上でふたりの人物が内緒話をするとき、一方が「なあ」と言うと相手が「なあ」と反応する演技のことです。

これが現実の世界に転じると、相手と適当に折り合いをつけることで、物事がいいかげんに進んでいくことを意味します。

まとめ

「歌舞伎」という漢字の由来や歌舞伎の定式幕のルール、屋号の歴史、歌舞伎から生まれた言葉といったように、歌舞伎についての雑学をいくつかまとめてみました。

現在の歌舞伎はすべて男性で演じられるのに対して、最初期の「かぶき」は女性が踊ることによって成り立っていたということに対して、とても興味深く感じます。

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