「甲子園」は、野球をしている高校生にとっては夢の舞台ですよね。また、野球自体をやらなくても、見る人を夢中にさせるという不思議な魅力があるスポーツでもあります。
プロ野球と比べてしまうとどうしてもその力に差がありますが、見る人にとってはそんなプロよりも熱が入り、夢中にさせるということもあります。
甲子園は一年に二回行われておりますが、本来「甲子園」とは大会の名前ではありません。
正式には「阪神甲子園球場」という舞台の名前ですが、毎年多くの感動を生んでいる「甲子園」の名前の由来や、負けた時に土を持ち帰る理由についてお話していきたいと思います。
甲子園の名前の由来とは!?
「甲子園」の名前の由来にはいくつかありますが、まず一つ目は兵庫県にある「六甲山」の「甲」という字と、若者から子供も集まる場所であるから「甲子園」と名付けられたというものです。
この「六甲山」は阪神タイガースの球団歌としても知られ、正式名称は「阪神タイガースの歌」という名前と言われております。
この歌の歌い出しが、「六甲おろし」ということから名づけられたのではないかと言われております。
ですが、この説はあまり一般的には伝わってはおりません。
では、「甲子園」という名前の由来が、本命として伝わっている理由は、完成した年が関わっていると言われております。
「甲子園」の正式名称は「阪神甲子園球場」という名ですが、この球場が完成した年は1924年の3月11日です。
ちょうどその年は干支の最初の年であり、「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに並ぶ、とても縁起の良い年と言われておりました。
当初、球場が完成するまでの間は「枝川運動場」と呼ばれており、縁起の良い年に完成したことで「甲子園」と呼ぶようになりました。
ちなみにそれまで「枝川」と付けられていたのは、この場所が「枝川」という川を埋めて立てていたことによりそう呼んでいたということです。
干支のみをイメージすると、なぜ12年ではなく60年ぶりかと疑問に思うかもしれませんが、木の幹は「十干」と言い、木の枝の「十二支」を組み合わせて「干支」を作ると、10×12となり、60通りの組み合わせができるというわけです。
良く聞く「還暦」が60歳を表すのは、ちょうど自分の生まれた年の干支に、また一から戻ってくるという事でお祝いをするという習わしがあったからです。
甲子園にサイレンが鳴る理由とは!?
八月の暑い夏に全国でも注目される「甲子園」。
高校球児がひたむきにボールを追い、汗を流しながら戦うその姿は見ている私たちにも勇気や感動を与えてくれるものです。
そんな中、試合のたびに鳴るのが「サイレン」です。
これは当たり前のように鳴り響いていますが、なぜ「サイレン」がなるのかその謎についてお話をしていきたいと思います。
「甲子園」では、試合の前と試合の後に、プレートアンパイアである審判により、プレイ宣言とともに「サイレン」が鳴り響き渡ります。
この「サイレン」は第一回から続いており、鳴るタイミングは試合の前後の他に、選手が守備練習を行うシートノックと終戦記念日である8月15日の正午となっております。
この終戦記念日は黙祷の意味であることから「サイレン」が鳴らさせるようになりましたが、「甲子園」での試合前後に鳴らすことの意味は、当時はまだラジオすらない時代の「何かを知らせる合図」として鳴らされておりました。
つまり、「サイレン」を鳴らすことにより、次の試合に備える学校への「合図」であったり、お弁当や駅員などへの試合の始まりと終わりを知らせるという、伝達手段として鳴らされていたと言われております。
甲子園の土を持ち帰るようになったのはなぜ!?
「甲子園」は激戦を勝ち抜いてきた球児が闘う舞台ですが、トーナメント形式なので一回でも負けるとそこで舞台は終わってしまいます。
一度も負けることなく勝ち抜いたただ一校のみが歓喜に満ち溢れますが、逆に破れてしまった球児たちはその何倍もの涙を呑んで「甲子園」を後にします。
そこで敗れた球児たちが一斉に行う行動と言えば、「甲子園の土」を袋にいれていることですよね。
今や風物詩とさえなっていますが、なぜこの土を持って帰るのか。
その意味についてお話していきたいと思います。
まずは「甲子園の土」ですが、一般的にある土とはもちろん違い、複数の産地からブレンドしている土ということで、毎年決まった産地から採取しているわけではないと言われております。
また、この「甲子園の土」は黒土と砂を混ぜ合わせて最適な状態でのグラウンドとなっており、現在の砂の産地は中国福建省産の砂が使われていると言われております。
黒土と砂の比率は、春は雨が多いため水はけを良くするために多めの砂をブレンドし、夏であれば、黒土を多めにすることで白球を見やすくするという細やかな配慮がされております。
では、なぜ球児たちがこの「甲子園の土」を持って帰るかというと、それは二つの理由があると言われております。
まず一つは「記念として」です。
高校球児にとって「甲子園」の舞台は夢であり、そこで戦うことができたというのはかけがえのない思い出となり、それを形として残すために持って帰ると言われております。
二つ目は「悔しさを忘れないため」です。
主に春に出場した1.2年生が持って帰る理由としてですが、もう一度必ずくる!という思いから持って帰ると言われております。
甲子園球場だけにあるアルプススタンド!名前の由来とは?
「甲子園」の中で、それぞれの応援団が場所をとるエリアで「アルプススタンド」と呼ばれる場所があるのは有名ですよね。
内野席と外野席の境目辺りにあるこのエリアは「阪神甲子園球場」にしかなく、他の球状では存在しない場所となっております。
では、なぜこのエリアを「アルプススタンド」と呼ぶようになったのか、その謎を解いていきたいと思います。
この「アルプススタンド」が完成した当時は、木造20段ほどの座席しかありませんでしたが、完成から5年後の1929年に、コンクリートでの座席に変え、内野スタンドと同じ50段に拡張されました。
拡張されたことにより収容人数も増え、スタンドには白いシャツを着た野球ファンが集まりました。
高くなったスタンドに、そのスタンドの席を埋め尽くす白いシャツは雪で染まったアルプス山脈のようだと喩えた方がいました。
そしてこの後に、漫画家である岡本一平さんの一文により、「アルプススタンド」という呼び名が広まり始めたと言われております。
そして、当時は通称として言われていた呼び名でしたが、今では公式での呼び名として今も受け継がれております。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
縁起が良いとされ名づけられた「甲子園」ですが、60年に一度と聞くとその縁起の良さが理解できますよね。
「甲子園」でいくつもの感動が数多く生まれるのは、もしかしたらこの縁起の良さが回り、人々に幸福をもたらしてくれているからかもしれません。