カステラは、泡立てた卵と小麦粉や砂糖を混ぜ合わせた生地をオーブンで焼いたものですが、鮮やかな黄色い生地や甘くてしっとりした味わいが魅力の昔からなじみのあるお菓子です。
実は和菓子に分類されるそうで、ケーキのような食感ですが日本茶などとも相性が良く、食べるとなんだか懐かしいようなほっとした気持ちになれるのではいでしょうか。
ところでこのカステラ、和菓子なのにカタカナの名前ですよね?
この名前には何か由来があるのでしょうか?
ここでは、誰でも知ってるカステラのルーツについて、その歴史や名前の由来などを中心にご紹介します。
目次
カステラの名前の由来とは!?
実はカステラは、16世紀頃に行われた南蛮貿易により海外から伝来してきたものだといわれ、その名前の由来にはいくつかの説があります。
カスティーリャ王国から
カスティーリャ王国とは、現在のスペインのあるイベリア半島で1035年から1715年までの間栄えた王国でした。
中世のイベリア半島は、このカスティーリャ王国とアラゴン、ポルトガルによって支配されており、後にカスティーリャ王国とアラゴンが一つになってスペイン王国になります。
このカスティーリャ王国で作られていたお菓子は、カスティーリャ・ボーロという名前でポルトガルに入ったということです。
そしてこのお菓子が日本にもたらされたとき、ポルトガル人が『カステラ王国のお菓子である(ボーロ・デ・カステーリャ)』と言ったのを、日本人がこのお菓子の名前がカステラであると勘違いしてそのまま広まったといわれるそうです。
スペインの城(カスティーリョ)から
スペインでカステラを作る際に卵の白身をしっかり泡立てるのですが、その際にしっかりしたメレンゲができるよう『お城のように高くなれ』と声をかけながら作っていたというそうです。
『カスティーリョ』はスペイン語でお城という意味なので、それがカステラの名前につながったという説です。
また、カステラの発祥の地と原型になるものについても所説あります。
ポルトガルの『パン・デ・ロー』
ポルトガルの各地で作られていた『パン・デ・ロー』は、ふっくらした焼き菓子。
これが日本のカステラの原型ではないかといわれます。
スペインの『ビスコチョ』
スペインでは、船に持ち込む食料として『ビスコチョ』という二度焼きしたパンがあり、日持ちが良く栄養価が高いので、主食として食べられていたそうです。
もともとは保存食の乾パンのようなかたいパンでしたが、宮中の料理人により改良されてしっとりした食感になったということです。
カステラは漢字で表されていた!?
『カステラ』という名前は、日本にもたらされた際に『カスティーリャ』『カスティーリョ』という発音を聞いてつけられたといわれます。
カタカナ表記のない時代で、もともと日本にはない言葉だったため、カステラを表す漢字は当て字であるということになるでしょう。
当時は、『加須底羅』『家主貞良』などの漢字が使われ、『かすていら』とよばれていたようです。
カステラの歴史!日本に広まったのはいつ!?
カステラは、16世紀頃の安土桃山時代に行われていた南蛮貿易で、ポルトガル人によって日本にもたらされたといわれます。
このポルトガルとの貿易により、鉄砲やキリスト教、南蛮菓子といわれた金平糖やカステラなど、さまざまな種類のものが日本に伝わったそうです。
日本におけるカステラの歴史は、当時南蛮貿易の港としてにぎわっていた長崎でパンとともに焼かれ始めたことから始まります。
当時の製法は、小麦粉、砂糖、卵の三種類の材料を同量混ぜ合わせ、蒸し焼き鍋で蓋をして上下から焼くというものでした。
そして時代の変遷とともに材料の配合や製法に変化をつけながら、日本人の味覚に合う工夫をされていくのです。
例えば、甘味は砂糖とともに水飴が使われたり、上火と下火の火力が調節できるオーブンのような引き釜というものを取り入れるなどして、徐々に現在日本で親しまれているカステラの形になっていったのですね。
当時、医学などを学ぶために集まった学生たちが通訳を通してカステラの作り方を学び、その技術を自分の国に持ち帰ったことから、カステラが全国に広まったともいわれます。
「長崎カステラ」の特徴や由来とは!?
江戸時代の鎖国体制の中でも、長崎は日本でも数少ない国際貿易港として存在していました。
カステラの材料である砂糖も豊富になったということで、南蛮人からもたらされたカステラを作りはじめ、それが長崎名物の『長崎カステラ』として定着したのだと言われます。
長崎で作られてきたカステラの材料は、卵、砂糖、水飴、小麦粉が基本で、特に水飴をしっかり入れることで独特のしっとり感を出しています。
また、長崎カステラの特徴としてよく知られているのが、底の部分についているザラメではないでしょうか。
ジャリジャリとした食感がお好みの方も多いと思います。
これは、生地の底にザラメを敷いて焼くわけではなく、生地をしっとりさせる目的で混ぜ込んでいるザラメが焼いている間に溶けて底に沈むためにジャリジャリになるのだということです。
そんな長崎には、カステラの元祖とよばれる老舗の専門店があります。
福砂屋(ふくさや)
創業は寛永元年(1624年)というカステラ本家として有名なお店で、ポルトガル人からカステラの作り方を直接伝授されたという歴史を持ちます。
底のジャリジャリが特徴的で、地元の方からの認知度も高いお店です。
基本的な細長い形のカステラだけでなく、最近では手のひらサイズのかわいいキューブ型の商品も人気で、手軽なお土産屋やお配り物として人気が出ているそうです。
文明堂
CM効果などで認知度の高いカステラ専門店です。
明治33年(1900年)創業ですが、当時の職人さんは、福砂屋で修行をした方だったそうです。
文明堂の商品では、カステラはもちろんですがカステラ巻きというものが有名でしょう。
これは、食べやすくカットしたものにカステラの側の部分を巻いているもので、個装されているのでちょっとしたお茶菓子などにも便利です。
松扇軒
天和元年(1681年)創業で、福砂屋の次に古いお店です。
こちらでは、チョコレートが普及しはじめた明治時代に、チョコレートをカステラに練りこんだチョコラーテという商品を開発しました。
カステラ販売の他に喫茶店もあり、ここで焼かれたカステラをコーヒーとともに楽しむことができるそうです。
これら3店は『長崎三大カステラ』といわれ、カステラを日本独自の和菓子として普及させたとして有名です。
まずはここからチェックすれば間違いなさそうですね。
まとめ
カステラは海外から渡ってきたものですが、日本で和菓子として広まりました。
南蛮貿易で長崎にポルトガル人によってもたらされた際、当時のスペインにあった『カスティーリャ王国のお菓子』というのが語源となって名付けられたという説が一般的なのだそうです。
当時の材料と製法をもとに、長崎において日本人の好みに合わせたものに改良されたものが現在の長崎カステラのもとになったのですね。
洋菓子として伝来したものが、長い歴史の中で工夫されて日本独自の和菓子になった過程を感じながら、カステラを味わいたいものですね。