インドが発祥の地と言われているカレーですが、実はカレーライスという食べ物は実際にはインドには存在しません。
多くのスパイスをブレンドした食べ物を総称してカレーとしているだけなので、一つの料理に対して限定された食べ物ではないというわけです。
ということは、カレーライスという食べ物では日本食として考えられることができ、その証拠にもなるのが心強い味方ともいえる「福神漬け」です。
あつあつのご飯とカレーライスには、福神漬けの組み合わせが最強とも言えるのではないでしょうか。
日本には古くから奈良漬けや千枚漬け、べったら漬けなどが親しまれてきました。
ですが、福神漬けの歴史はそれほど古くはなく、比較的新しい漬物と言えます。
そんな福神漬けが生まれた歴史からその名前が出来た理由、そして七福神との関係性についてご紹介していきたいと思います。
福神漬けの名前の由来とは!?七福神と関係あるの?
福神漬けは大根やナス、カブや瓜、シソやレンコン、ナタ豆など7種類の野菜をみりんやお砂糖、そしてお醤油で漬けたものです。
この福神漬けと七福神との関係はあるとは言われておりますが、実際はどういったことなのか、名前の由来も併せてその謎に迫ってみましょう。
一説ではこの7種類の野菜を使っていることから、「福神漬け」と名付けられたと言われております。
また、この福神漬けを最初に開発したお店が上野不忍池の弁財天近くにあったという理由から、「福神漬け」とも言われております。
弁財天とは七福神の一人であり、七福神の中の紅一点でもあります。
琵琶を弾く姿が妖艶として表されており、そのルーツは古代インドのサラスヴァ―ティー、つまりは水の神とされていました。
他の説では、この福神漬けがあれば他にご飯のおかずは不要なため、お金が貯まる、という家に神様がやってきたかのような幸福な気持ちになると言われ、そういった意味でも名づけられたと言われております。
そして、この福神漬けは「梅亭金鵞(ばいていきんが)という当時の流行作家が気に入り、命名したとも言われております。
福神漬けが誕生したのはいつ!?
福神漬けが誕生したのは、明治時代にまで遡ると言われております。
明治18年、東京の上野の漬物屋である「山田屋」が福神漬けの始まりとされております。
そこの店主である野田清右衛門が10年という月日をかけて誕生したのが福神漬けと言われております。
このことを裏付ける証拠として、当時食品業界から表彰されたのが野田清右衛門というわけです。
そしてこの表彰を記念として、福神漬け発明表彰の碑を建立されたと言われております。
この碑は今でも東京西日暮里の淨光寺に現存しております。
福神漬けの誕生の秘話には、当時では画期的とさえ言われていた「醤油漬け」に秘密がありました。
明治時代での漬物としては、「塩漬け」が圧倒的に主流とされていたので、醤油漬けされた福神漬けが表彰を受けるほどのものと納得ができるのではないでしょうか。
野田清右衛門は醤油を使った漬物を作るために日々研究を重ね10年もの時間をかけましたが、現在となっても福神漬けを上回るほどの有名な漬物はないとさえ言われております。
福神漬けはどうしてカレーに添えられるようになったの?
今でこそ、カレーと最強コンビとさえ言われるほどの福神漬けですが、一体いつからなぜカレーに添えられるようになったのか、お話していきたいと思います。
明治35年の日本では、ヨーロッパに向け日本郵船をだしておりました。
その時、当時ランクが一番高いとされていた一等船室でカレーの付け合わせに福神漬けが出されたことが始まりとされています。
これが始まりとなり、日本国内でもカレーと福神漬けの組み合わせができたと言われております。
日本では、当初ピクルスが添えられていたと言われておりましたが、酸っぱさが日本人の口には合わず、カレー本場のインドでの「チャツネ」というものが出されておりました。
それが日本でもこの「チャツネ」を真似て、変わりに「福神漬け」が出されたと言われております。
この「チャツネ」とは呼ばれる食材ですが、食材と言うよりはソースやジャムのようなもので、一般的にインドで使用されるスパイス調味料に分類されます。
この「チャツネ」の由来には、ヒンディー語の「chatni」から来ておりインドでは保存食とされております。
もちろんカレー料理では欠かすことのできない薬味としても知られております。
「チャツネ」の原材料としては、フルーツやコリアンダーの香草、トマトや唐辛子といった野菜に加え、酢や砂糖、各種スパイスによって煮込んだものです。
家庭で作られるものなので、家庭によっては甘口から辛口と自由に辛みを調整できます。
市販でもマンゴーチャツネと呼ばれる瓶詰のものがカレーの薬味として使われておりますが、欧米では冷たい肉料理の薬味としてはもちろん、パスタにも使われております。
そして話は戻り、一等船室で出された理由ですが、一つ目の理由としてはこの「チャツネ」が切れた変わりの代替え品ということです。
二つ目の理由では、いつも出されている「チャツネ」もピクルスに続き、日本でも不評ということでした。
福神漬けが赤い理由としては、この「チャツネ」が赤い色をしていたため、その色に影響されたからと言われております。
ちなみに一等船室以外の二等や三等船室では、たくあんが添えられていました。
そして甘口な福神漬けが広まった理由としては、缶詰の福神漬けが軍隊で出されており、故郷に帰った際にこのことが将兵により家族にも伝えられ、全国的に広まっていったと言われております。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
普段からカレーライスのお供として食べられている福神漬けですが、その歴史を辿ると人に歴史があるように、福神漬けにも歴史があって今に伝えられていたということが分かってきます。
特に伝統的な世界に人が携わり、それにより新しい風が吹いたというのはより考え深い気持ちになるのではないでしょうか。
また名前も日本古来の気風が残っていて、親しみが感じやすいものです。
たった一つの事を長年心折れることなく辛抱強く研究できるというのは、今では薄れてきている感情ではないでしょうか。
これからの時代でも新しい風がより吹いていくように、研究心はもちろん、探求心や辛抱強い心を持って取り組める未来があると信じたいものです。