子供から大人まで大好きで、給食などでも人気ランキング1位を獲得する食べ物・カレー。
最近は自宅で本格的なカレーを作るなんて人も多いですし、芸能人もカレー好きが集まって「カレー部」を作っているなんて話も聞いたことがあります。
また夏のお祭りなどでも各家庭で作ったカレーを持ち寄って配るなどカレーは日本人にとってなくてはならない食べ物になっていますよね。
多くの人に愛されているカレー。
しかしその歴史ってなかなか考えたことはなかったように思います。
気が付けば夕飯のメニューにあった食べ物です。
今回はそんなみんな大好きカレーの名前の由来や歴史、さらにはトッピングに関することについて調べていきたいと思います。
目次
「カレー」の名前の由来とは!?
子供のころに「カレー」ってなんでカレーっていうの?と言うとだいたいが「辛いから」じゃない?なんて安易に応えられていたものですが、じつはその語源は諸説あり、インド南部の方言だった“タミル語”の「kari」が訛ったものではないかとされています。
タミル語の「kari」はご飯にかける汁状のものなどソースや汁などを意味していてもともとは辛い食べ物を表していたわけではないようです。
またヒンズー語では「タ―カリー」と呼ばれ、香りのよいものを表していたようです。
つまり先に書いた辛いからカレーと言う説はまったく違いますね。
17世紀ごろまではインド地方で取れる様々なスパイスで肉や魚を煮た料理がこの「kari」だったようです。
17世紀以降、中南米原産の辛さのスパイスの代表「唐辛子」がインドに入ったと言われ、そのころから辛さのスパイスの効いたカレーができてきたとされています。
日本のカレーの歴史とは!?どこから伝わってきたの?
本来カレーとは16世紀の大航海時代、ヨーロッパの各国が競いながら世界中を探検していた頃、インドで出会ったのが始まりです。
ではそこからどのようにして日本にカレーは伝わってきたのでしょうか?
それは17世紀ごろ、インドがイギリスの植民地だったころまで遡ります。
イギリス人が出会ったインドの「kari」と出会い、それを欧風にアレンジしたものを王室のメニューとして加え、それを「curry」と呼ぶようになりました。
スパイスを効かせたものは18世紀ごろには定着し、19世紀にはあらかじめスパイスを調合したいわゆる「カレー粉」が商品化されカレー粉と小麦粉でとろみを出し、家庭料理としてイギリスで普及しました。
そんなイギリスから日本に「日米修好通商条約」が締結された翌年の安政6年の1859年に横浜港から入ってきたそうです。
その後、明治5年(1873年)には「西洋料理通」と言う本の中に、カレー粉を使用して小麦粉でとろみをつける調理方法が紹介されていました。
さらにそれから数年経った明治9年には北海道の札幌農学校に着任していたクラーク博士の発案によって生徒たちの栄養状態を改善するためにカレーライスが出されました。
北海道の農産物であるジャガイモ・ニンジン・玉ねぎが入ったのもこの頃から定番の具材となっていったわけです。
すると翌年には日本陸軍が土曜日の昼食にカレーライスを提供するようになり、明治41年にはイギリスの海軍を模範として日本海軍でもイギリス式カレーを取り入れたのだそうです。
栄養状態の改善にカレーは大きく役に立った食べ物として日本には伝わってきたんですね。
この軍人さんのカレーは現在でも献立の中に入っていて曜日の感覚を忘れないように毎週金曜日に提供されているようです。
戦後には学校給食としてもカレー採用されるようになり、昭和25年ごろには家庭でも手軽にカレーを楽しむことができるように今のような固形タイプが出回りました。
そして昭和44年にはレトルトカレーも誕生し、こうしてカレーライスが日本の食卓に定着していったのです。
カレーのトッピング!福神漬の由来とは!?
さて、カレーライスの定番のトッピングと言えばすぐに思う浮かぶのは「福神漬」ではないでしょうか?
しかしなぜ福神漬がトッピングとして定着したのでしょうか?
まずは福神漬の由来を見ていきたいと思います。
もともと福神漬は明治時代の初めごろに発明家として有名だった野田清右衛門さんが考案、当時は塩漬けやぬか漬けにするくらいしかお漬け物は存在しなかった中、しょうゆやみりんで味付けされた福神漬は漬け物として画期的でした。
7種類の野菜が入っていた福神漬は発明した野田清右衛門さんがその名前をネーミングしました。
弁天様が祀られていた寛永寺のある上野に野田清右衛門さんがいたことなどから「七福神様」にあやかってその名前は付けられたのだそうです。
なぜカレーにトッピングされるようになったの?
ではなぜそんなお漬け物の福神漬がカレーの定番トッピングとして定着したのでしょうか?
福神漬がカレーライスのトッピングになったのには2つの説が有力候補になっていました。
チャツネに似ているから
日本の船のコックさんがヨーロッパ航海の際に見た、カレーにチャツネを入れている場面。
チャツネは今となってはカレーに入れる定番ですが、当時の日本のコックさんは衝撃だったようです。
その色や見た目が福神漬に似ていたから添えるようになったと言う説があります。
サービスだった
日本のホテルとして代表的な「帝国ホテル」の先代の社長さんが大正時代に列車の中の食堂車でカレーに福神漬をつけるサービスとして考え出したと言う説です。
明治時代にはあったお漬け物なので、大正になって列車内で出されていてもおかしくはないですし、コックさんがチャツネとその見た目が似ている福神漬を添えたというのもどちらも正しいような気がしますよね。
しかしそれほど前からカレーには福神漬けが欠かせないアイテムになったことには間違いありません。
カレーにらっきょがトッピングされるようになった由来は?
そういえばもう1つカレーと言えばのトッピングが存在しました、それは「らっきょ」です。
じつは「らっきょ」は日本が原産ではなく、お隣の中国で栽培されるようになり、日本へは平安時代に薬用植物として入ってきたと言います。
その後江戸時代のころには今の鳥取や福井で野菜として栽培されるようになり明治時代以降は国内にいろんな場所で栽培されるようになりました。
そんならっきょが日本で定着し、その後福神漬の時と同じように帝国ホテルが列車の食堂でカレーと共に提供したそうです。
当時は口の中をさっぱりとさせるためのピクルス的な目的と、栄養価の高い食べ物として知られたらっきょと、栄養改善に食べられるようになったカレーでは食べ合わせとしてとても相乗効果を産み出すことからカレーにらっきょはマストアイテムになったのだそうです。
まとめ
今回は普段何気なく食しているカレーについてその名前の由来や、歴史、さらにはトッピングとして定番の福神漬けやらっきょについてなぜそれらがトッピングとして採用されるようになったのかを調べてきました。
もともとは辛い食べ物を表す食べ物ではなかったカレーは時を経て、様々なスタイルで多くの人に愛される食べ物へと進化してきました。
きっとこれからも進化し続けるであろうカレー。
今晩のメニューにしてみてはいかがでしょうか?