釣りは好きな人が多いレジャーです。
むしろスポーツといった方がよいかもしれません。
その由来は、いったいどこから来ているのでしょうか?
そして釣りには、門外漢にとってさっぱりわけのわからない、特殊な用語がいくつかあります。
ここではそのうちふたつを選んで、その意味や由来を解説することにします。
釣りの起源とは!?いつから始まったの!?
釣りは、人類が食料を採取するのに道具を使うようになると共に誕生したといってもよいでしょう。
釣り針あるいはそれに似た道具は、数万年以上昔に発明されました。
少なくとも2万数千年前に存在したのではないかと考えられます。
後期旧石器時代の遺跡からは釣り針に似たものが出土されているからです。
それらはもちろん現在のように鉄やその他の金属でできたものではなく、骨や貝殻あるいは石を加工して作ったものですが、釣り針としての役目は十分に果たしたことは間違いありません。
大昔の人たちは、このお手製の釣り針を、木の枝や竹で作った釣り竿に、動物のしっぽの毛や人の髪の毛などを使って結びつけて釣りをしたのでしょうか?
その当時の釣りがどのような形で行われていたかはわかりませんが、今日のように、主にレジャー目的で釣りをしたわけではなく、日々の食料を調達するための「狩り」の一種として行われていたことだけは、間違いないでしょう。
レジャー目的で釣りを行うようになったのは、人々が日々の食料の調達に追われなくてもすむようになってからのことです。
日本の場合はずっと後になってから、江戸時代(1603年 – 1868年)になってからといえます。
江戸時代には釣りの流派まであったとか。
そして釣りが庶民の間の娯楽、ときにはスポーツとして、さらに爆発的なひろがりを見せるのは、第二次世界大戦後の1950年代を待たなければなりません。
いずれにしても、B. C. 約20,000年からA. D. 1600に至るまでの長い間、人々は食糧を得る目的だけで、必死になって釣りを続けていたことになります。
釣り用語坊主(おでこ)の意味とは!?
釣り用語に「坊主(ぼうず)」と「おでこ」というものがあります。
どちらも同じ意味で「ずっとがんばったが全く何も釣れない」ことを意味します。
この両者を比べると、「坊主」という表現を使う人の方が多いようです。
にもかかわらず「坊主」には差別的表現が含まれている(放送禁止用語にも当たる)が「おでこ」にはそのような要素が含まれていないという意見も聞かれます。
そのような理由のためか、最近は「坊主」ということばを避けて「ホゲる」や「ズーボー」という表現を使ったりもするそうです。
いずれにしても、釣果ゼロであった釣り人本人の内心は、かなり傷ついている可能性が高いので、まわりの人はそっとしておくべきかもしれません。
坊主と言うようになった由来は?
ところで、なぜ釣果がまったくないことを「坊主」と呼ぶようになったのでしょうか?
いちばん奥ゆかしい説は、全く何も釣り上げることができなかったことを、お坊さん(坊主)のように「殺生という罪を犯さなかった」と表現した、というものです。
もっと直接的にお坊さんの頭に「毛が1本もない」ことを理由にする説もあります。
漁師の「儲けがない」から「もう毛がない」すなわち「お坊さん」すなわち「坊主」というように、言葉遊びを続けることで、「坊主」にたどり着くものです。
あるいは「(魚の)食い気がない」と「毛がない」をかけあわせ、「毛がない」から「坊主」となる説もあります。
(この説は同じ「毛がない」という理由で「おでこ」を「坊主」の代わりに使う理由にもなっています。)
釣り用語外道の意味とは!?
もうひとつ、釣り人が使う特有の表現に「外道(げどう)」というものがあります。
もちろん本来の「人の道から外れた極悪人」という意味ではありません。
釣り用語としての「外道」は、釣り上げるつもりでやって来た目的のものとは違った種類の魚が釣れたとき、その「誤って釣り上げてしまった魚」のことを示す表現です。
釣りをする際に、普通の釣り人は、ターゲットとする魚種を決めて、その魚に向いたつり竿、釣り針、餌など必要なものを準備して、釣り場へ出かけます。
にもかかわらず、いざ釣りに取り掛かって魚を釣り上げてみると、ターゲットとしていたのとは違う種類のもの(外道)がかかってしまうことは、意外とよくあることです。
このような場合、釣り上げても大してうれしくないエサ取り(本命がかかる前にエサをかっさらって行く魚)の雑魚(フグ、カワハギ、ハオコゼ、ベラ、スズメダイなど)である場合が大半です。
しかしカレイを釣りに行ったつもりがマダイを釣り上げてしまった、という超ラッキーな場合もたまには起こります。この場合も釣り上げたマダイは一応「外道」と呼ぶことに注意して下さい。
外道の語源とは!?
「外道」の由来は仏教用語としての「外道」にあります。
そして仏教用語としての「外道」には「仏教以外の教えのこと。仏教以外の宗教を信じる人。」「真理(仏の教え)に背くものあるいは人。邪教、邪道」という意味があります。
そしてこれが転じて「災厄をもたらす悪い神々」「鬼や化物、またその仮装姿」「人をののしって言う言葉」という意味にも使われます。
これらの言葉と「目的以外の魚を釣り上げること」とを比較すると、釣り用語としての「外道」には、おぞましい意味合いがどこかに消し飛んでしまったことがわかります。
釣りの「外道」は、すでに仏教とは関係ない、釣り独特の専門用語と考えた方がよさそうです。
まとめ
釣りの長い歴史についてまとめ、それと同時に釣り人独特の用語としての「坊主」(あるいは「おでこ」)と「外道」について意味と由来を説明しました。
釣りが楽しみのために行われるようになったのはごく最近のことで、その歴史の大半は、食物(魚類)を採集するためになくてはならない、命がけで釣りを行う時代が長く続いたことがわかります。
そして「坊主」も「外道」も、もともとは仏教に関係あることばであることもわかりました。
釣りが庶民に広まり始めた江戸時代以降、仏教が日本人に及ぼした影響が想像以上に大きいものであることを、このような釣りの専門用語からでも読み取ることができて、興味深いです。