「アイヌ」というと、北海道に住んでいる方なら一度は耳にした方も多いのではないでしょうか。

「アイヌ」は北海道に住む先住民族として知られていますが、日本本土での住んでいる人とは異なる文化があったため、差別が大きな問題として今もなお残されています。

今回はそんな「アイヌ」についての歴史や、アイヌ語が由来となった地名から動物まで、掘り下げてお話していきたいと思います。

アイヌ語の歴史について

由来 アイヌ 地名

そもそもアイヌは北海道や樺太、そして千鳥列島に住んでおり、中でも北海道に移住している先住民族として知られております。

先住民族と聞くとなんだか特別な種族のように感じますが、ほとんどが「日本人」として暮らしており、普段の私たちとは何も変わらない生活を送ってはおります。

種族と聞くと特別な衣装をイメージしますが、衣服もいたって普通のものを身に着けております。

ですが、一般的に普通の暮らしをしている「日本人」とひとまとまりにしてしまうと、アイヌの伝統ある文化が消えてしまいかねないので、近年では、アイヌ文化を守り、後世に伝えていこうという働きも見られてはおります。

では、後世にまで守りたいと思うほど、アイヌの文化がどういったものなのか気になるところです。

次からアイヌの歴史についてお話していきたいと思います。

縄文文化があったとされる数万年前の土器が発見された北海道では、遥か昔より人が住んでいたとされております。

その文化のあと本州方面では、稲作を中心とした弥生文化に入っていきますが、北海道では、続縄文文化時代に入ります。

さらに、東北地方の古墳文化の影響により擦文文化への広がりから、オホーツク海沿岸部でも同じようにオホーツク文化への展開もみせておりました。

そんな様々な文化の影響を受けつつ完成されたのが、アイヌ文化と言われております。

主に13から14世紀頃と言われておりますが、中には12世紀頃とも言われております。

古代の文化ではどうしても諸説があり、今現在もさらに研究は進められてはおりますが、一連の流れとしてはこのようなっているそうです。

また、アイヌでは、数々の貿易をしていたことも分かっており、津軽海峡を渡った先の日本の本土の人たちとも貿易をしていたと言われております。

変わり始めたのは1457年頃に、和人と呼ばれるアイヌの人たちからみた、アイヌの人以外の日本人との対立が始まったことでおこり始めました。

その対立は何度も起こり、16世紀に入ったころようやく終息を迎えますが、敗戦によりアイヌは今までできていた貿易も場所が限定されてしまったり、その相手も松前藩のみと定められてしまいました。

それだけではなく、貿易の品の値段も下げられてしまい、不平等な条件を受け入れられず、幾度となく反乱を起こすのですが、すべて敗戦となっております。

さらには過酷な条件下の元で労働をさせられ、経済的圧力も強まってきました。

ここより時代が進み、明治時代となると明治政府により当時「蝦夷地」と言われていたのを「北海道」と名を変え、強制的に日本の領土にしました。

もちろん、アイヌも日本人として取り込む姿勢でしたが、「旧土人」という名で和人との区別を計りました。

また、アイヌの生活習慣はもとより様式も無視し、「同化政策」として進め始めました。

この「同化政策」により、名前も和人のようなものとし、シカやサケの猟も禁止、土地もほとんど和人のものとしました。

さらにアイヌ独特の習慣であった耳輪から入れ墨も、「野蛮」とみなされるものは禁止となりました。

ですが、このままだと反発が起こりかねないと対処を講じたのが、1899年に制定された「北海道旧土人保護法」というものです。

これは一定の農地をアイヌに与えるように定められましたが、土地の面積はほんのわずかしか与えられず、さらには管理能力不足や土地の売買の行いなども禁止されておりました。

つまり、アイヌは和人から見ると「低知能」や「野蛮人」というイメージが強く、劣等部族として差別や苦しい生活を強いられていたと言われております。

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アイヌ語が由来の地名はどこ!?

北海道ではアイヌ語が地名となったものがたくさんあり、難読漢字が多くあります。

それ故に北海道外の人は読むことができない人が多くいます。

今は当たり前のように読めますが、当時はなかなか読むことができなかった地名から、アイヌ語の意味も併せていくつかご紹介していきたいと思います。

まず一つ目は赤平(あかびら)です。

アイヌ語では「フウレーピラ・アカピラ」で意味は赤い崖や山稜の崖と言います。

二つ目は旭川(あさひかわ)です。

アイヌ語では「チュップペツ」と言い、朝日のでる東の川と意味です。

三つ目は芦別(あしべつ)でアイヌ語は「アシュペ・アシュベツ」と言われ、魚の背びれや川底深く険しいという意味を表しています。

他にも足寄や、厚岸、厚真や石狩、そして恵庭や襟裳といった数ある有名な地名も、ほとんどがアイヌ語から来ており、その数は296市町村と言われております。

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トナカイの名前の由来はアイヌ語!?他にもアイヌ語由来の動物がいる?

由来 アイヌ トナカイ

日本にはいない「トナカイ」がアイヌ語からきていると言われておりますが、言語学者によると「トナカイ」と発音はしないと言われております。

一番近い発音としてはカムチャッカ半島の人たちからの発音と言われており、本土日本人により発音しやすくした呼び名として「トナカイ」と呼び名が付いたと言われております。

そもそもアイヌの人たちは交易と狩猟採集が本来の生活の軸とされており、トナカイは特別な加工を必要とせず、良質な毛皮になっていたので交易の材料として盛んに行われていました。

また、シベリアと日本との中継貿易もしていたと言われております。

その貿易を行っていたのが樺太であり、この樺太のアイヌの人がtunakay(トゥナカイ)と呼び、そこから日本語として入っていったと言われております。

他の動物では、オットセイはアイヌ語で「onnep(オンネプ)」と言い、ラッコは「Rakko(ラッコ)」と言われております。

ですが、当初は「アトイ・エサマン」という海のカワウソの名がありましたが、夜に使うことを許されていない忌み語だったため、「Rakko(ラッコ)」と呼ばれるようになったと言われております。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

アイヌの歴史を知ると、ただ見た目の違いや習慣の違いで差別的な扱いを受けていたと分かったのではないでしょうか。

人は潜在的に己と違うことをしていたり、自分とは違ったことを述べた人を敵とみなし、自分が間違ったことをしていても集団でいるとそれが正しいと錯覚してしまう生き物でもあります。

自分と違う行動や考えを持っている人を初めから間違いや劣っていると決めつけずに、差別をすることなく相手の良いところを見つけられる人間で生きていきたいものです。

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