5月の第2月曜日は母の日ですね。

日頃の感謝の気持ちをカーネーションに添えて伝える習慣が定着していますが、この習慣はいつどのように始まったのでしょうか?

ここでは、母の日がこの時期になった理由や、カーネーションを贈るようになった由来や花の色の持つ意味などを中心にご紹介しましょう。

母の日にカーネーションの花を送る意味や由来とは!?

由来 母の日 カーネション

母の日にはカーネーションを贈るという風習がありますが、それには何か意味があるのでしょうか?

母の日は世界各国でさまざまな由来がありますが、中でもアメリカの南北戦争の時代に起こったエピソードが有名です。

アメリカのアン・ジャービスは、当時亡くなってしまう確率の高かった乳児を守ろうとして、母親たちが働くボランティア活動を始めました。

さらに彼女は南北戦争で負傷した兵士たちを敵味方問わずケアするなど、多くの人々を救ってきたのです。

彼女が亡くなった後、娘であるアンナが母を追悼するために、亡き母の好きだった白いカーネーションを教会に捧げ、集まった人たちにも配りました。

生きている間に母への感謝の気持ちを伝えようという思いで行ったのですが、これが後に正式に制定される母の日の由来となり、白いカーネーションは母の日のシンボルとなったのです。

ところで最初は白いカーネーションであったのが、いつから赤いカーネーションが主流になったのでしょうか。

クリスチャンの間では、白いカーネーションは十字架にかけられる前のキリストと聖母マリアを、赤いカーネーションは十字架にかけられた後のキリストの赤い血を表すといわれます。

その後、母が存命中の場合は赤いカーネーション、母が亡くなった人は白いカーネーションという区別ができたのですが、これによって傷つく子もいるのではないかという考えから、現在のように赤いカーネーションが定着したということです。

最近ではカーネーションの色もバリエーションが増えてきて、色にこだわらず他の花も含めて色々な形の贈り物が増えていますよね。

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カーネーションの花言葉の由来とは!?

花に人々の想いをのせるいわゆる花言葉の風習は、17世紀頃のトルコからヨーロッパへ広がっていき、日本には明治時代初期の頃に伝わったといわれます。

カーネーションの花言葉には、アン・ジャービスの娘が開催した母の追悼式のエピソードが関わっているとされます。

また、キリストが処刑された際に聖母マリアが流した涙からカーネーションが生えたという伝説があり、ルネサンス時代の画家であるラファエロの描いた『カーネーションの聖母』には、聖母マリアが両手にカーネーションを持ち幼少時代のキリストをあやしている姿が描かれています。

これらのことから、カーネーションには母への感謝の気持ちを意味する花言葉を持つようになったとされるのですね。

カーネーションの花言葉の意味は?

母親への想いをカーネーションにこめて贈る母の日ですが、何色のカーネーションを贈ろうか迷われる方もいらっしゃいますよね。

カーネーションの花言葉は、『女性の愛』『感覚』『感動』『純粋な愛情』などですが、色別の花言葉を具体的にご紹介していきましょう。

赤色

  • 『母への愛』
  • 『母の愛』
  • 『純粋な愛』
  • 『真実の愛』

最も直接的な愛情が込められている色です。

暗い赤色(深紅)

  • 『私の心に哀しみを』

色味の暗い赤色には別の意味があるようです。

白色

  • 『私の愛情は生きている』
  • 『尊敬』

ピンク

  • 『感謝』
  • 『気品』
  • 『温かい心』
  • 『美しい仕草』

母親の優しさや魅力を表した色です。

黄色

  • 『軽蔑』
  • 『嫉妬』

アクセントカラーにはなりますが、贈り物としては注意が必要な色です。

オレンジ

  • 『熱烈な愛』
  • 『純粋な愛』

母親というより恋人に向ける愛に近いニュアンスを持っています。

青色

  • 『永遠の幸福』

遺伝子組み換えや着色などで作られる花です。

紫色

  • 『誇り』
  • 『気品』

エレガントなお母さんにぴったりで、落ち着いた色合いから亡き母をしのんで贈ることもあるようです。

色にこだわるもよし、お母さんの好みで贈るのもよし、感謝の気持ちを表すアイテムとして上手に取り入れたいものですね。

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母の日の起源とは!?

由来 母の日 起源

日本の母の日は、アメリカで制定された母の日が由来しているといわれます。

アメリカの母の日は1914年に正式に制定され、日本をはじめ世界各国へ広がっていきました。

そのきっかけとなったのは、100年ほど前のアメリカ・ウエストバージニア州でアンナ・ジャービスという女性が、亡き母を追悼するため行った集まりでした。

アンナの母であるアン・ジャービスは敬虔なクリスチャンであるとともに社会活動家でもあり、南北戦争中に敵味方関係なく負傷した兵士たちのケアを行ったり、当時亡くなる確率の高かった乳児の病気治療や母乳の汚染防止などを目的にした活動なども行っていたということです。

5月の第2日曜日というのは、アンナがそんな母を慰労して感謝する日であったそうです。

そして母が亡くなって2年目の1907年5月12日、アンナは教会で母を追悼する会を行い、母が好きだった白いカーネーションを参加者に配ります。

これが母の日の由来とされ、白いカーネーションが母の日のシンボル的な存在となったのだといわれています。

 母の日が日本で始まったのはいつ!?

母の日が日本に伝わったのは明治末期から大正時代にかけてといわれます。

青山学院大学の教授であった宣教師であるアレクサンダー女史が、アメリカにおける母の日を紹介したのがきっかけで、それがキリスト教徒によって広められたということです。

ちなみに日本で最初に母の日の行事が行われたのは1913年(大正3年)だということですが、この際にアメリカの母の日のきっかけを作ったアンナ自身からメッセージを受けたという話もあるのだそうです。

その後、キリスト教会を中心にして母の日の普及活動が行われ、1932年に初の公式行事としての母の日が行われ、5月の第2週に母の日を設定し始めたのが1950年前後だといわれます。

まとめ

母の日には100年以上もの歴史があるのですね。

南北戦争下のアメリカで、母親の立場としてボランティア活動を行ったアン・ジャービスが亡くなった後、娘のアンナが教会で行った追悼式で母の好きだった白いカーネーションをささげたのが由来であるということです。

日本では、大正時代に宣教師によって広められ、初めての母の日の行事が行われました。

現在では様々な色のカーネーションが出回っていますので、お母さんの好みで選ぶのもいいですね。

ただし、色によって花言葉もさまざまですので、それを良く知ってから選ぶと安心でしょう。

いつも愛情を持って見守ってくれる母親への感謝の気持ちを表す大切な機会を大切にしたいものですね。

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