トルコといえば、みなさん何を思い浮かべますか?
トルコ料理は「世界三大料理」のひとつともいわれていて、とても美味しいんですって!
世界三大料理には、ほかにフランス料理・中華料理が並びますが、意外とトルコ料理のイメージがないですよね。
ですが侮る事なかれ。
トルコ料理はとくにケバブやトルコアイス、シーフード系の料理がもう絶品!
ケバブが一番有名なトルコ料理だと思われますし、そう聞くとジャンキーなイメージもあるのですが、
前菜や副菜などしっかりとした食事が並びますし、なんなら普通の家庭の食卓にコース料理が並んでいるようなもの。
実はとっても豪華なんです。
他にも観光地としては、世界最古のオリーブオイル工房が残る「ウルラ(クラゾメナイ遺跡)」や、古代の都市「ベルガマ」、トロイア戦争の舞台ともなりトロイの木馬で有名となった「トロイ遺跡」など…。
見るところもたくさんあり、一週間あっても周り切れないほどの、素敵な場所があるんですって。
日本とはまるで生活や建物などの様式が違いますから、異世界感もあって自分の世界に浸れていいですよね。
では、そんなトルコの国名や国旗などについて、色々と調べてみましたので、良ければ読んでみてください。
トルコの国旗の意味について
トルコの国旗は、「赤地中央に、左に右向きの三日月・左に星」を携えた、とても印象的なデザインです。
別名「新月旗」または「月星章旗」と呼ばれます。
ちなみに、この国旗のデザインにある月と星なのですが、この2つの組み合わせはイスラム教のシンボルとされています。
ですが、小アジアの方では、イスラム教が普及する以前から存在し、使用されていたとされていて、おそらくイスラム教とは大した関係がないともいえるでしょう。
このデザイン、色々な逸話が存在していますが、もっとも信じられている説としては、「トルコ革命での勝利の夜、戦場に流れたおびただしい量の血の海に、三日月と星が移って見えた」から、というもの。
国旗の地の色である赤は血であるという説は他にもありますが、これがもっとも信憑性が高いようです。
トルコの国旗の由来について
もともとは、「タンジマートの改革」により1844年に、公式に定められた「オスマン帝国」の国旗でした。
それまで「オスマン帝国」には、国旗というものが存在していなかったのですが、多民族国家であったということもあり、それぞれの民族のシンボルマークや、戦争旗、市民旗などを用いていました。
国旗を正式に定められたということは、国としての規模がそれなりに大きくなっていたということ。
「オスマン帝国」は、勢力としても申し分なかったといえましょう。
もちろん、今でも民族の国旗は使用されていることもあるそうです。
多民族国家の名残が残っているようですね。
トルコの国名の由来とは!?
トルコの国名、実は正式名称でいうとかなり難しいんですよ。
「Turkiye Ccumhuriyeti」=「テュルキエ・ジュムフリイェティ」(ヘルプ・ファイル)と言い、通称「テュルキエ」と呼ばれます。
発音が日本とは違うとはいえ、舌が回らさそうな名前ですよね。
英語圏内の地域などでは、トルコ共和国になる前の時代…トルコ周辺を治めていた国家の事を「オスマン帝国」と言うのですが、その「オスマン帝国」のことを「Turkey」や「Turquie」などと呼んでいました。
この言葉は「トルコ人の国」という意味でありましたが、トルコ共和国になる前の国であり、もともと多民族国家であった、「オスマン帝国」の中では「オスマン国家」や「オスマン家の王朝」などといった名称が一般的でした。
簡単に説明すると、国内外での呼び方に大きく違いがあったという事ですね。
また、当時のオスマン帝国の人々は、民族や人種に括りがあったわけではありませんでいたので、「トルコ人の国」「トルコ人による国家」であるなど、認識をすることはなかったのです。
それ自体はとてもいい傾向ですよね。
人種差別的なものが横行する時代の中で、民族などで差別しないというのは素敵なことです。
その後、第一次世界大戦後に、国土が分割されてから、徐々に勢力を弱めていった「オスマン帝国」は、アナトリア半島に縮小しました。
そうして、それまでの「オスマン帝国」に代わって、新しく政権を執った人々が、新たな名前として、「Turkiye(トルコ)」を提案。
その名前は、「オスマン帝国」の衰退と、新たな国の始まりを象徴したのでした。
ちなみに、「トルコ」と「オスマン帝国」外の人々から呼ばれていたのかは、はっきりとは分からないのですが、もともと「トルコ族」という民族の名前をとってつけたんだそうです。
「トルコ族」の祖先は「チュルク族」といって、中央アジアの騎馬民族です。
「チュルク」という言葉には「強者」「軍団」という意味があり、多民族国家であった「オスマン帝国」の中でも、強い勢力であったと考えられます。
強い勢力の民族の名前が印象に残りやすいのは当然です。
ですから、周りの人々はイメージとして、あるいは当時の「オスマン帝国」を陰で呼ぶための隠語のようなものとして、「トルコ人の国」と、そう名称していたのかもしれませんね。
時代が移ろいゆく中で、そうして名前が変わっていくのも歴史には欠かせない要因の一つですよね。
変わらないものの方が少ないのが歴史です。
トルコの漢字表記の由来とは!?
ところで、トルコの漢字表記は知っていますか?
トルコは漢字表記にすると「土耳古」となります。
「え!?これでトルコって読むの!?」と驚く方もいるはず。
確かにパッと見た目では、トルコとは読めませんよね。
そもそも、外国の名前を漢字表記にし始めたのは日本ではなく、中国が始まりでした。
ですから、ほとんどの外国の英語表記には、中国の発音を基本とした漢字が当てられたのです。
後に日本にも、その漢字表記が普及していき、自然と中国から輸入された言葉が浸透していったのですね。
元は、今の日本で使われている漢字も、中国から伝わってきたものですから、大した違和感もなく、みんな受け入れたのでしょう。
他にも「亜耳伯士(アルプス)」や「日耳曼(ゲルマン)」など、特殊な読み方のものも多いので、もしも興味があったら調べてみると、面白そうですよ。
トルコの通貨「リラ」の語源とは!?
トルコの通貨の事を「リラ」と言います。
ちょっとかわいい発音で覚えやすいです。
この「リラ」という通貨を意味する言葉の語源は知っていますか?
もとは、天秤を意味する「Libra(リーブラ)」が語源となっています。
これは、ほかにも質量の単位としても扱われており、貨幣として用いる際には、「1Libra」の銀の単価を表わしていました。
それが徐々に変化し、最終的には、イタリア語の法則に則って、「Libra」の中の二音が抜けた「Lira」が通貨として普及したのだそうです。
もともと銀の単価であったものが、一般的な通貨に変わった、というだけなので、由来としてはとても分かりやすいですね。
まとめ
いかがでしたか?
トルコには、観光地や料理もさることながら、歴史もとっても魅力的だと思いませんか?
案外、トルコになる以前の「オスマン帝国」については、たくさん書籍が存在していますし、トルコについてもっと掘り下げて調べてみるのも、面白いかもしれませんね!
もちろん観光雑誌などでトルコの魅力について、見てみるのもワクワクすると思います。
あまり旅行などではなじみのないトルコかもですが、国外旅行を考えている方はぜひ、トルコへの旅行も視野に入れてみてはどうでしょう!